開港地横浜のイタリア人写真師
日本に写真機材が導入され、写真撮影が始まったのは19世紀中葉のことです。そして、幕末から明治初めにかけて横浜の居留地では、白黒アルビューメン・プ リントに手彩色を施したいわゆる「横浜写真」が始まりました。その「横浜写真」の歴史において、1863年に同地に上陸したフェリーチェ・ベアートや彼か ら写真館を引き継いだライムント・フォン・スティルフリードの活動はよく知られています。他方、スティルフリードなどの経営する日本写真協会を買い取り、 1885年から写真業に乗り出したアドルフォ・ファルサーリ(1841-1898)についてはあまり知られていませんでした。しかし、1990年代になっ てヴィチェンツァの実家からファルサーリの書簡が発見され、彼が「横浜写真」に与えた影響について明らかにされ始めました。ただ、そうした書簡や、横浜開 港資料館などに所蔵されている写真アルバムからはファルサーリの経営する写真館の概ねの活動を窺い知ることができるだけでした。
しかし近年、東京大学大学院人文社会系研究科が行った調査によって、手彩色の素晴らしさに加え高価な値を付けて販売された写真アルバムの実態、とりわけ、写真師ファルサーリ自身の手になる写真の解明がなされました。
会場:大阪芸術大学ほたるまちキャンパスギャラリー
〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島1丁目1-12
日時:2013年4月13日(土)~ 29日(月・祝)
11:00-19:00(入場18:30まで)
月曜休場 *4/29(月・祝)は開場
入場無料