ピランデッロ生誕150年を記念して、イタリア文学・文化研究者で、京都大学名誉教授の齊藤泰弘先生をお招きし、シチリア島出身のこの作家についてお話しいただきます。
講演解説:
【ドラマの前史】イタリア中部のとある町の裕福な家の子弟たちが仮装パレードをすることになった。主人公の若者(氏名不詳)は、恋人のマティルデが「カノッサの屈辱」で有名なカノッサ城主に扮することを知って、自分はその相手の神聖ローマ皇帝エンリーコ四世の扮装をする。だが、パレードの途中で彼の馬が何者かに槍で突かれ(実は恋敵のベルクレーディが犯人だった!)、落馬して頭を強打し、意識が戻ったらなんとエンリーコ四世その人となっていた。彼の狂気を不憫に思った姉が、別荘を昔の宮廷と同じ設えにし、廷臣たちを雇って、エンリーコ四世と同じ生活をさせる・・・それから20年後、かつての当事者たちが別荘を訪れて、彼が本当に狂っているのか、それとも狂人の真似をしているのかを確かめようとする。こうしてドラマの幕が開きます。
1)われわれの人生の最良の時である《青春》を楽しめなかった人間の《後悔》の念と、失った人生への《渇き》の凄まじさ!
エンリーコ四世:「君たちは自分の人生を生きて年を取ったが、僕はその自分の人生を生きられなかった! 僕はものすごい空腹で宴会にやって来たが、その時はもう食事はきれいに片づけられた後だった!」 講師の感想:だが、狂気の中で生きていた人間が正気に返るという話は、実際にはあまりない話です。だからこの場合は、刑務所の中で青春を無駄に過ごすよう強制された受刑者の喪失感と恨みを想起したらいい。刑務所とは、社会に害をなした人間を社会から隔離して矯正してやるための施設だというのは建前論であって、その現実(本質?)は、人間の自由を奪って生きる喜びを味わえなくする《刑罰》の場所なのです。
2)失った人生は2度と戻って来ない!(皆さんもそうならないように注意しなさい・・・)
では、どのようにすればこの残酷な時間の流れに復讐することができるのか? エンリーコ四世:「僕の頭を傷つけた石の残酷な仕打ち(=狂気)に復讐するために、意識的にその狂気を生きるのだ!」講師の感想:つまり、紀元11世紀の世界に戻って、エンリーコ四世の人生を実際に生きることです。この《仮想現実(バーチャルリアリティ)》の世界では、時間の流れを自由に巻き戻せるので、時間の流れの不可逆性に対して復讐することができます。これは、録画とかゲーム機のバーチャル世界に生きるのと同じ感覚です。サッカーの試合をリアルタイムでテレビ観戦する時、われわれはハラハラドキドキしながら、その結果がどうなるかを見守ります。だが、その結果を知った後で、この試合を録画で見たらどう? われわれは見る前から、試合の経過と結果を知っており、だから安心して自由に時間を巻き戻して試合を見ることができます。エンリーコ四世が我に返った時に、自分の失った時間に復讐しようとしたのは、この方法によってなのです。
3)だが、バーチャル世界は、残酷で容赦のない《時の流れ》へのはかない抵抗にすぎない!
そのような仮想現実の世界が実は《擬態(ミメーシス)》に過ぎないことを、エンリーコ4世だってよく知っています。生卵の中身(=人生の喜び)を味わうことを断念して、卵の殻(=形、概念、レッテル、ステータス等)の世界で遊んでいたエンリーコ四世にも、人生を味わっていた人々と同様に、老いは押し寄せます。彼は昔の恋人に向かっていう。「あなたはこの人生の歳月を生きて、この20年の人生を楽しんだ。そして、僕がもう本人とは見分けられないほどに、あなたは変わり果ててしまった・・・」
4)抑圧したはずの本能(=生きる喜び)の突然の暴発、その結末としての衝動殺人!
エンリーコ4世は、元の恋人マティルデの娘が、かつての彼女と生き写しであることに驚愕する(過ぎ去った人生が再び甦った!)。エンリーコ四世:「僕の知っている彼女はこの人だ。お前はあそこにある画像だったのに、生きた人間になってくれた。僕の夢がお前の中で生命を得たんだ! お前は僕のものだ! 僕のものだ!」彼はマティルデの娘に抱きついて、力尽くで連れ去ろうとする。バーチャル世界と現実の世界の一瞬の接触による大爆発。彼の行為を止めようとした昔の恋敵ベルクレーディは、エンリーコ4世に剣で刺されて死ぬ。だからこれは、狂った喜びと嫉妬心から生じた復讐劇なのです。でも、この悲劇の真の主人公は誰か? それは容赦のない無情な敵、つまり人間の青春を衰えさせて墓場へと導く《時》なのです。
ピランデッロの描く、実に深くて痛切な人間性の世界と比べると、通常の劇作家たちの喜怒哀楽の世界など、いかに《ちゃち》で《軽薄》な《気晴らし》にすぎないかということを、このピランデッロ講演を通じて理解してもらえることを願っています。
講師 : 齊藤泰弘(さいとう やすひろ)
1946年、福島県生まれ。京都大学名誉教授。専攻・イタリア文学、イタリア演劇。『鳥の飛翔に関する手稿』(谷一郎、小野健一共著)で第3回マルコ・ポーロ賞を受賞。著書『レオナルド・ダ・ヴィンチの謎―天才の素顔』(岩波書店,1987)、訳書『レオナルド』(エンツォ・オルランディ編、評論社、1980)、『ウフィツィ美術館素描版画室蔵レオナルド・ダ・ヴィンチおよびレオナルド派素描集』(C.ペドレッティ著、岩波書店、1986)など。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の翻訳として『鳥の飛翔に関する手稿』(岩波書店、1979)、『トリヴルツィオ手稿』(岩波書店、1984)、『解剖手稿 ウィンザー城王室図書館蔵』『風景、植物および水の習作』『馬および他の動物』(岩波書店、1982、1985、1990)、『パリ手稿C、F、G、E』(岩波書店、1989、1990、1991、1993)、『絵画の書』(岩波書店、2014)ほかがある。