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第16回世界イタリア語週間 – マルコ・マッツィ 「自然の」庭園

第16回世界イタリア語週間

マルコ・マッツィ 「自然の」庭園  写真展

会期:2016年11月19日~11月28日 (予約不要)

10:00-13:00, 14:00-21:00(月~金)

10:00-16:00 (土)

10:00-12:00 (日)

オープニングパーティ (要予約)

2016年11月18日(金)18:00~

会場:イタリア文化会館-大阪

“「自然の」庭園”という形で、自然と人の手、私達の町の至る所で共存しています。都市空間、街の建造物という中にあって、自然は人の意志やルールに支配される事なく存在し、しかしながら我々の暮らしと深く関わり合っているのです。

Marco Mazzi マルコ・マッツィ (フィレンツェ、1980 ) 写真家 / ビデオアーティストフィレンツェ大学近現代イタリア文学科卒。駒場美術館(東京)、ワタリウム美術館(東京)、798 芸術区(北京)、現代美術館MACRO(ローマ)、ティラナ国立近代美術館など、多数の公私立施設において展覧会や共同企画を開催。

庭園とは何か。都市という現実において植物はどのような役割を果たしているか。「歴史に残る」立派なものだけが庭園か、それとも自生し繁殖する植物もまた庭園と見なしうるのか。都市現実、公共の開かれた空間、道や広場のある空間、都市の周縁にひろがる自然界――これらの間に、どのような関係性が存在するか。本展が、トスカーナ地方の都市の現実を例にとり、提示しようとする問いはこのようなものです。一般にトスカーナ地方は古典性と歴史を象徴する土地とみられています。しかし第二の庭園、すなわち観念の庭園、「パロール」や「イデア」としての庭園もまた、存在するのです。こうした概念は本展を構成する写真とビデオに通底するものです。したがって庭園とは、自然や植物から構成される、実体的な現実のものであると同時に、わたしたちが公共の開かれた都市空間を想像する際の、隠れた規範でもあるのです。より高次の研究的観点から述べれば、本展は現代イタリアの都市における開かれた空間の本質を問うものでもあります。開かれた公共空間、すなわち道や広場やショッピング・センターといった空間はおそらく、ある場所の「建築学的」無意識につねに内在し影響をあたえる庭園の概念を、仮想の形でひそかに具現化したものといえるでしょう。

本展を構成する20 枚の写真が映し出すのは、いずれもトスカーナ地方で撮影された「自然の」庭園です。
撮影場所を正確に特定することは重要ではありません。これらの空間と出会い写真に映しとったことは、それらの空間の発生と同じく、偶然の所産なのです。庭園の写真のいずれにも人影はありませんが、対置されるビデオには、公共の開かれた都市空間において、身ぶりや日常的な活動に集中している人の姿が多く映し出されます。写真と併せて展示されるそれらの動きによる映像は、次のふたつのもの――自然が人間の介入なしに成長するという現実、および、目に見えない秘かな「自然の」庭園の形によって決定され構築されてゆく、開かれた都市空間、そのふたつの関係性と観念の連続性を示唆するのです。